軍艦島は、見学ルートが決まっており、ガイドさんの説明を聞きながら、島の南側を見学します。
この図は、今回利用した「軍艦島コンシェルジュ」さんのHPよりお借りしました。
第一見学広場
周遊でも見えた給水塔。左側に、水道管も見えます。
ライフラインである電気、ガス、水道。
電気やガスは、4km先にある高島から、海底ケーブルで送られてきたので心配はありませんでした。
問題は水。
当初は海水の蒸留水だったのですが、人が増えてからは船で水を運び、ポンプで上げてタンクに貯めていました。
しかし、人口は増すばかり。最終的には、長崎・野母から、世界初の海底水道を通しました。
こちらの写真左上の建物。これは三菱幹部が住むアパート。
他の住民が、一家族「2部屋・共同トイレ」が一般的だったところ、ここは、「3DK&風呂・トイレ付き、オーシャンビュー」だったそう。
「幹部の家は、波が来ない場所なんだなあ」
私は、間取りよりもそんなことを思っていました。
(幹部アパートの右下にある建物が、島最大のマンモスアパート65号棟です。幹部アパートと65号棟の間にある三角の屋根が神社。65号棟の右側が小・中学校。)
第二見学広場(命の階段)
鉱員は、まず出社すると、赤煉瓦の建物の奥の総合事務所へ行きます。
(写真上部は、給水塔と三菱幹部の住宅です)
そして、写真右に見える階段を上がり桟橋(採炭場へのエレベーター入口)へと向かいます。
鉱員は、階段を上がり、その桟橋からエレベーターで採炭場へと降りていきます。
しかし、エレベーターといっても、壁のない檻のようなもの。しかも、秒速8mで地下640mへと降りていきます。
「降りる」というより、「落ちていく」という表現の方がぴったりで、初めて乗る人は失神していたそう。
ガイドさんに「スカイツリーと同じくらいの深さ」と言われ、ぞっとしました。
地下への採炭場へ続くエレベーターへの階段。
生きて帰ってくる人ばかりではありません。
作業中に事故で亡くなる方もいます。
例え亡くなったとしても、「命の階段」まで、必ず連れきていたとのこと。
そして、その間ずっと、「奥さんが来ているよ。息子さんもいるよ。」と亡くなっているのだけれど、話しかけていたそうです。
ガイドさんの話を聞きながら、涙が溢れてきます。
出社時は「無事に仕事を終えられますように・・・」と、戻ってきたときは、「今日も無事に戻ってこれた」と、この階段で命の大切さを実感できていたそうです。
「命の階段」には、鉱員の足跡がしっかりとついていると、ガイドさんが言っていました。
炭鉱から戻ってきた鉱員は、総合事務所内にある共同浴場へ向かい、お風呂に入ります。
鉱員は真っ黒。なので、お風呂のお湯もすぐに真っ黒になったそう。
そのため、お風呂のお湯は海水を沸かしたもので、上がり湯だけが真水。
水の貴重さが、ここでも伺えます。
「日本最古のアパート〜軍艦島vol.4」へ続きます。