「命の階段〜軍艦島vol.3」の続きです。
第三見学広場
写真中央の黒っぽい建物が、30号棟アパート。
このアパートは、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートで、大正5年(1916年)に建設されました。
鉄筋コンクリート造りとして試行錯誤の実験的段階だったこと、また中が吹き抜けになっていることから、建築学上貴重な建物であるそう。
左側の建物・31号棟の地下には、売店や公衆浴場、一階には郵便局や公衆電話、床屋があったそうです。
30号棟、31号棟の間に、中へ通じる階段が見えています。
ベルトコンベアー
ベルトコンベアの跡。
海底から上がってきた石炭は、このベルトコンベアーに乗せられ、船に積まれていました。
今は支柱だけが残っています。
採掘で出てきた「ボタ」と呼ばれる残土は、海に捨てられます。
しかし、船着場のある東側に捨てると、船が着けられなくなるため、反対側の西に捨てます。
西側に捨てるには、アパートが林立しているわけで・・・
なんと!建物の中にベルトコンベアを通して、海に廃棄していたのです。
この写真の建物(31号棟)左下の大きめの穴が、ベルトコンベアを通していた名残。
「建物の中にベルトコンベアを通す」ことからも、島が「生活」ではなく、「炭鉱」中心で動いているということがよく分かります。
朽ち果てていく様子も見ていてほしい
昭和30年代に最盛期を迎えた軍艦島は、石炭から石油へのエネルギー転換と共に推定していき、昭和49年に閉山。
その後40年以上、風雨や波にさらされ、今の状態になっています。
島の半分は、アパート群ですが、崩壊の危険性があるため、立ち入ることはできません。
ガイドさんは、時々取材の同伴し中へ入ることがあるそうなのですが、取材中もどこからか、何かが落ちてくる音がしていると言ってました。
ガイドさんは、「これから朽ち果てていく軍艦島をしっかりと見ていて欲しい」と訴えていました。
手前の大きなコンクリート塀も台風による高波で倒壊したのだとか。
軍艦島は、上の写真のような石垣などでしっかりと守られています。
しかし、少しずつ「自然の風雨」や「塩害」「時の流れ」という力に、少しずつ崩壊し、朽ち果てていくことでしょう。
長崎へ戻ります
もっとゆっくり散策したいところですが、時間が来たので急いで船へ戻ります。
帰りは1階席でのんびりと。
帰りのフェリー内では、じゃんけん大会が行われ、ノリオが勝ち抜きました〜♪
私は、名物「長崎カステラアイス」を購入。
軍艦島は、陽が強くて暑かったので、船内販売に飛びついちゃいました^^
右手に、行きによく見えなかった造船所が見えてきました。
三菱マークの白い部分は、なんと!テニスコートぐらいの大きさなんだそう。
肉眼で見ていても、そんな大きさだとは想像もつかず、びっくりでした。
ここでは、ドイツの大型客船「アイーダ・プリマ」が建造中。
10月13日完成予定ということだったのですが、もう完成したのでしょうか???
TVで軍艦島をよく見ていたので、軍艦島のことは「知っているつもり」でいましたが、本当に「つもり」だけで、知らないことばかりでした。
上陸する前は、「軍艦島へ行ける!」とテンションが上がっていましたが、今は全く別の思いに駆られています。
感覚として捉えているので、なんと説明して良いのか分かりませんが、軍艦島に来てしか分からないことが色々ありました。
機会があれば、軍艦島を訪れ、ガイドさんの話を直接聞いてもらいたいです。